天香山命と久比岐のあれやこれや

素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

2022-01-01から1年間の記事一覧

smalltalk - おすすめ動画

数年前にyoutubeで見たヨーロッパのテレビ放送のクリスマスコンサートでとても気にいった曲。 かつて気に入ったコンサート動画はもう見つからず、多くのミュージシャンによる様々なアレンジを聞き比べて自分好みの演奏を見つけた。原曲はウクライナの民謡だ…

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新作です。 #0007欠史八代① 第2代綏靖天皇・第3代安寧天皇・第4代懿徳天皇(2022/12/25公開) メリークリスマス。

鳥は海神族、鹿は丹波勢

古事記の神語歌前半、八千戈が奴奈川姫に求婚(脅し)する逸話で、奴奈川姫は自分を浦渚の鳥に例える。また、八千戈が鵺、雉、鶏に例えているのは奴奈川姫の集落(久比岐)の人々だろう。 奴奈川姫の久比岐は椎根津彦(珍彦)のルーツだ。よって、鳥は海神族…

小倉百人一首 7番 阿倍仲麻呂が詠んだ月

小倉百人一首は歴史の教科書だ。と、聞いたことがある。何年か前にはネットでも記事を読んだ。と、思う。たぶん。 それで以前、阿倍仲麻呂の歌を考察した。だが今になって、結論が間違っていたと考えている。 小倉百人一首 7番 阿倍仲麻呂 天の原 ふりさけ見…

三勢力それぞれの八岐大蛇退治

丹波勢(孝霊[7]=大国主)の国譲りが本伝、山陰勢(孝元[8]=大国主)の国譲りが一書第二であるように、八岐大蛇退治の本伝と一書第一と一書第二も、三つの勢力の事績だろう。 八岐大蛇退治の本伝は山陰勢 素戔嗚=孝元[8]の父=武内宿祢大己貴(素戔嗚の子…

天穂日および五男神について自説変更

非常にあやふやな記憶で、「古代の航路を表す五男神のうち天津彦根と活津彦根の交わる場所が彦根説」を教えてくれた彦根市のタクシー運転手に、北陸出身であると話したら、天穂日だと言われたような言われなかったような気がしていた。それで、この不正確な…

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新作です。今回は新鮮なネタを調理しました。 #0006初期天皇の活動年代 第11代垂仁天皇~第25代武烈天皇(2022/10/19公開)

初期天皇年代表を微調整

複数勢力の寄せ集めである神武[1]を除外。備考欄に中臣烏賊津を追加。 初期天皇の年代表 中臣烏賊津は仲哀[14]紀、神功紀、允恭[19]紀に登場する。武内宿祢同様に、この年代表ならば活動年代を約70年間に絞り込める。

八岐大蛇について自説変更

先だって一応の完成をみた初期天皇の活動年代表をもとに、自説を変更する。今後はこの年代表が新たな自説の核になる、と思う。 新たな自説の核 八岐大蛇伝承のもとになった出来事は、孝元[8]の近畿進出。孝元[8]=武内宿祢=杵築大己貴。山陰勢。四世紀中期…

初期天皇の時代考証(改訂版)

初期天皇の時代考証を、垂仁紀の逸話「狭穂彦討伐」を手掛かりに修正。 この表の利点は、和珥武振熊の活動年代を4世紀後期に絞れること。武内宿禰も4世紀中期と後期の約70年間に絞れること。 初期天皇の時代考証 改訂版 応神(誉田)の幼少期=誉津別=孝…

欠史八代こそがヤマト王権の大王

物部大前が長髄彦義兄の饒速日であり、開化[9]と仮定して、100年3世代で年代表に継体[26]以前の天皇を当てはめる。ただし、実在しない崇神[10]と、判断材料に乏しい成務[13]を除く。 初期天皇の時代考証 天岩戸日食がある2世紀中期にちょうど神武[1]が重な…

物部大前が長髄彦義兄の饒速日

神武四兄弟=允恭四兄弟。神武東征は、逸話ごとに登場人物の「中の人」が変わる。 一連の事件における物部氏の動向を推測。(1) 物部大前は履中[19]に味方して、海神族の筑紫勢と対立する。(2) 住吉仲皇子を排除したのち日向勢に攻め込まれ、伊勢を奪われる。…

四兄弟のカラクリ

瓊瓊杵=景行[12]彦火火出見(山幸)=豊国別吉野行幸までの神武四兄弟=允恭四兄弟 日本書紀と古事記の狙いは、日向灘と豊後水道をルーツとする勢力がヤマト建国に深く関わったように偽ること。 記紀神話は四兄弟を同母兄弟としているが、これは虚偽。父親…

初期天皇の活動年代予測および四国西部

垂仁[11]~継体[26]が活動した時代の予測を修正。ただし景行[12]と成務[13]を除く。 (158 天岩戸日食)(238 難升米訪魏)4前: 11.垂仁4中: 15.応神4後: 16.仁徳 14.仲哀/神功 ←中部日本海側が潰される【和珥武振熊】(382 百済記に沙至比跪)5前: 17.…

雄略紀に狭穂彦の玄孫

雄略は第21代天皇。雄略13年春3月に「狭穂彦の玄孫・歯田根」が登場。 日本書紀 雄略紀 十三年春三月 狭穂彦玄孫歯田根命 窃姧采女山辺小嶋子 天皇聞 以歯田根命 収付於物部目大連 而 使責譲 歯田根命 以馬八匹 大刀八口 狭穂彦は垂仁[11]1人目の皇后・狭穂…

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昨年の晩秋頃より、ちまちまと動画を制作しております。本日は4本目の公開です。 いわゆる【ゆっくり動画】です。 #0004翡翠産地の海神族 後編(2022/08/21公開) #0003翡翠産地の海神族 前編(2022/05/02公開) #0002神とは?(2022/03/19公開) #0001奴奈…

安倍仲麿の歌について仮説

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 753年に安倍仲麿が詠んだ歌。仲麿(仲麻呂)は阿倍比羅夫の孫。比羅夫は越国守や大宰帥を務めた。安倍氏は大彦の子孫と伝わる(異説あり)。 あまのはら →高天原(海人の原) →神々の時代(寿命が長…

天日別と天兒屋について仮説

藤原不比等が春日大社を創祀。春日大社の祭神は武甕槌・経津主・天兒屋・比売神。比売は天兒屋の妃神と伝わる。 春日和珥氏と皇統の関わり 中臣佐久が改名して米餅搗大使主になったと、阿波国続風土記に記されている。 wikipedia 米餅搗大使主 脚注 出典の3 …

第六代孝安天皇について改訂

欠史八代はヤマト建国において重要な役割を担った氏族であり、その氏族を表すキーワードが和風諡号に盛り込まれていると推測した。 孝安[6]の和風諡号は「日本足彦国押人天皇」である。孝元[8]の和風諡号が「大日本根子彦国牽天皇」であり、「国牽」は「国押…

倭国大乱について仮説

応神[15]=誉津別ならば、父である垂仁[11]の生きた時代は記紀の記述より降る。記紀編纂時に辿れた皇統の父系の最古が垂仁だったか?知り得る最古の祖先だから実際より古い時代に偽ったか? 垂仁[11]から仁徳[16]までの即位順と親子関係は、史実と異なるかも…

誉田天皇(応神)と垂仁皇子・誉津別

釈日本紀の上宮記逸文は、継体[26]の祖を「凡牟都和希王」と記したうえで、横に「譽田天皇也」と添える。ホムタは応神[15]のことだが、ホムツワケ(誉津別)は垂仁[11]と狭穂姫のあいだに生まれた皇子のことだ。 国立国会図書館デジタルコレクション 国史大…

神武東征(日向出立~八咫烏)について仮説

【Attention!】頭を柔らかくして考察してください。 素戔嗚には出雲国熊野大社(櫛御気野)と越前国劔神社(八千戈)の二柱がいる。大己貴には出雲国杵築大社(現・出雲大社)と丹波国出雲大神宮の二柱がいる。襲津彦(ソツヒコ)は幸彦(サチヒコ)であり、…