天香山命と久比岐のあれやこれや

素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

欠史八代こそがヤマト王権の大王

物部大前が長髄彦義兄の饒速日であり、開化[9]と仮定して、100年3世代で年代表に継体[26]以前の天皇を当てはめる。ただし、実在しない崇神[10]と、判断材料に乏しい成務[13]を除く。

初期天皇時代考証

天岩戸日食がある2世紀中期にちょうど神武[1]が重なる。
神代紀第七段『逐降と天岩戸』が神武紀九月甲子朔戊辰『八十梟帥討伐』に相当。

欠史八代ヤマト王権の大王か。
あるいは欠史八代の皇太后ヤマト王権の女王か。
5世紀中後期は混迷していたため大王ないし女王は空位

垂仁[11]~武烈[25]は、ヤマト王権の大王ではない。
垂仁[11]や応神[15]など継体[26]の祖先だからピックアップされた人物と、景行[12]や仲哀[14]など允恭[19]を捩じ込む関係でピックアップされた人物がいる。

狭穂彦討伐を記す垂仁[11]と、尾張氏と思われる孝安[6]が重なる。
孝安[6]=狭穂彦=阿彦
狭穂彦(阿彦)は簒奪者でも逆賊でもなく、大王だった

阿彦は丹波と戦い、敗れる。
丹波勢の孝霊[7]は大王位簒奪の成功者。

4世紀前期まで近畿勢は海神族を敬っていた。
4世紀中期は丹波勢が覇権を取りに出た時期。

孝霊[7]孝元[8]開化[9]の和風諡号に含まれる『根子彦』は、海神族ではないことを表す符号か? 『根』は大地・陸のイメージ。