天香山命と久比岐のあれやこれや

素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

small talk - お耳を拝借

Happy Holiday! 今回、考察はお休み。 近頃、ガルマルナを好んでよく聞いている。 なかでも、このプロモーションビデオは古代史好きをトキメかせると思う。 スウェーデン語はさっぱりわからないけどな! よいお年を!

素戔嗚のルーツは対馬か?

天岩戸と神逐の段(※)の本伝と一書第三は、天岩戸から天照を引き出したのちに『諸神』が素戔嗚を追い払う。一書第二は天岩戸から天照を引き出したときには既に『諸神』が素戔嗚を追い払っていた。 古事記は、天岩戸から天照を引き出したのち『八百万の神』…

天岩戸日食の舞台のモデルは阿波の天磐戸神社か?

天岩戸日食は158年だろうと、当ブログは考えている(過去記事:天岩戸日食と卑弥呼は無関係)。 国立天文台NAOJ 国立天文台報 第13巻 第3・4号(2010年10月) 『天の磐戸』日食候補について [PDF] 恥ずかしながらΔT値については全く理解が及ばないので鵜呑み…

倭国大乱後、出雲は九州に平伏した

2020年12月現在、出雲瑪瑙をWeb検索すると多数の販売店がヒットする。そのほとんどが、朝廷へ献上していたことを出雲ブランドの裏付けとしてポジティブに受け止めておられるようだ。なので、少々言いにくいのだが。 小松市 フォーラム、シンポジウム等の資料…

5世紀、畿内の九州勢は大和勢に屈した

越前から出雲勢を追いやった神逐により、中部日本海の青海氏、琵琶湖・淀川・茅渟海の息長氏、瀬戸内・玄界灘の吉備氏が繋ぐ交易路が完成した。 国譲り後ではないかと思うが、青海氏は高志深江に進出して青海郷(現在の加茂市)を開拓したと伝わる。ちなみに…

椎根津彦は久比岐の海人族

九州勢(大彦の氏族や尾張氏)の近畿入植はあったが神武東征はなかったと当ブログは考えている。皇統とされる橿原勢及び饒速日勢は、弥生後期の2世紀以前には大阪平野に根差していた在地勢力とみる。 そこへ九州勢が瀬戸内航路を開き、淡路島に住みついた。 …

天火明は瀬戸内航路の開通まもなく入植した九州人を指す

天火明は、誓約で誕生した五男神の長男である天忍穂耳の孫、または子だ。弥彦神社祭神である天香山の父で、日本書紀は尾張氏の遠祖と記す。 しかし尾張氏が伝える海神豊玉彦を始祖とする系図に天火明、天香山の名は無い。 Wikipedia「尾張氏」より転写 系図…

瀬戸内航路をふさぐ淡路島

瀬戸内の潮流について考えてみると、厄介なポイントは鳴門海峡、明石海峡、来島海峡、大畠瀬戸の四つの海峡だろう。明石海峡は、鳴門海峡よりマシということで必ず通らねばなるまい。しかし鳴門、来島、大畠は通らずとも良さそうだ。 せとうち情報局『潮流推…

出雲は天穂日が四隅突出墳丘墓を伝えたと誤認していた?

誓約で誕生した五男神が瀬戸内航路の寄港地であるとする。 瀬戸内も広いので範囲を狭めたい。 考えるに、どんなに広めに解釈しても祝島より東だろう。祝島と姫島を結ぶ玄界灘横断航路が古くからあり、この航路を鎮める神が宇佐八幡ではないかと思う。 前回、…

誓約の五男神は瀬戸内の寄港地

以前の記事『神代の誓約から国譲りまでは欠史八代と時期が重なる』にて、誓約で天照の子になった五男神は播磨、吉備、安芸、周防および丹波ではないかと推測したのだが。今になって、宗像に合わせて考えるなら、瀬戸内の主要な寄港地ではないかと思い至った…

天岩戸日食と卑弥呼は無関係

神逐が指す歴史上の事件は天照と素戔嗚の戦争であるという見解を、2010年に述べられた先達がいらっしゃると最近知った。 国立天文台NAOJ 国立天文台報第13巻 第3・4号(2010年10月) 『天の磐戸』日食候補について [PDF] 天文学者がいない時代の,あるいは天…

ちょっとヒートアップ

倭大國魂は久比岐・能登の神だと一般に広く認知されて欲しいと思っているので、直近の3記事(前々々回、前々回、前回)は極力、客観的に書いた。 今回は、直近3記事では削った意見を述べる。 当ブログを読まれた方は、なんでもかんでも久比岐に当て嵌めす…

大倭神社註進状:大地官と地主神を同一視する暴論

『大倭神社註進状』を読むと気になる点が二つある。 ひとつは、日本書紀には存在しない孝昭[5]の夢のエピソード。 ひとつは、大地官を地主神に読み替える強引さ。 まず、孝昭[5]の夢について記す段落を、ここに書きだす。 日本書紀家牒曰 腋上池心宮御宇天皇…

『大倭神社註進状並率川神社記』写し

前回の記事にて、倭大國魂は久比岐・能登の神であるとする客観的根拠を示した。 公平を期して、倭大國魂を大国主と同一とする説の根拠になっている『大倭神社註進状並率川神社記』を写したので挙げておく。 参考資料は以下の三冊。 国文学研究資料館の資料を…

倭大國魂は翡翠を象徴する久比岐の神

とても残念なことに倭大國魂を祀る大和神社(奈良県)は、『大倭神社註進状』なる一書を拠り所として、倭大國魂は大国主であると主張している。 しかし倭大國魂の創祀に関わる重要人物は久比岐・能登に関わっている。 大和神社 大和神社由緒 倭大國魂は崇神[…

国譲り後も出雲は存続した

出雲国譲り神話とは実際のところ、出雲が天照勢へ高志国を譲ったのであり、その後も出雲国は山陰の雄として存続した。 上の文は、ブログの書き初めの頃に書いたものとほぼ同じだが一か所、「大和へ」を「天照勢へ」に修正した。 久比岐に入って出雲軍を追い…

事代主には広義と狭義がある

国譲りの段の事代主は、 本伝(※)では大国主の子と定義されて海へ避け去るが、 一書第二(※)では大国主が避け去ったのちに大物主と共に登場して去らない。 また事代主は、神功紀にも登場して「祠吾于御心長田國」と宣い、神戸の長田神社に祀られる。このと…

ちょっとクールダウン

メインカテゴリーの『天香山命あれやこれや』がだいぶ進んだので、ここらで私感を書いておく。 まず最初に、敬称をことごとく削っている点を言い訳したい。 記紀の神々には神・尊・命といった敬称を末尾につけることが望ましいと、実は私も思っている。しか…

大田田根子は大国主の曾孫かもしれない

媛蹈韛五十鈴媛と似た伝承を持つ大田田根子の系譜について考える。 日本書紀の崇神紀[10]にある大田田根子の自己紹介は「父曰大物主大神 母曰活玉依媛 陶津耳之女 亦云 奇日方天日方武茅渟祇之女也」だ。 陶津耳(奇日方天日方武茅渟祇)の娘である活玉依媛…

綏靖[2]のモデルは武渟川別かもしれない

事代主を高志に関連づけるならば、事代主の後裔とされる媛蹈韛五十鈴媛の系譜について上手い解釈を考案せねばなるまい。 媛蹈韛五十鈴媛は事代主の娘であり、神武[1]の皇后であり、綏靖[2]の母だ。 綏靖[2]の和風諡号は神渟名川耳といい、名前に「ヌナカワ」…

国譲りの段の一書第二は高志寄りの視点で書かれた

天照は九州、素戔嗚は出雲、高皇産霊は大和、建御雷は九州軍、経津主は大和軍の動向を指す。事代主は高志を指すのだが、この神だけは「動向」より「関係性」を指すと云うほうが適切かもしれない。 一般には大国主の子と思われている事代主だが、一書第二(※…

御穂須須美は能登半島の先端の神奈備

出雲国風土記は、奴奈川姫と八千矛のあいだに御穂須須美が生まれたと記すが、久比岐の伝承には無い。おそらく実在せず、ふたりに子は生まれなかった。 出雲の美保関では美保神社の末社である地主社に御穂須須美を祀っているが、元々は国引き神話に因んで祀り…

古代、出雲は高志を見下していた

前回の記事において、倭迹迹日百襲姫のモデルが奴奈川姫である可能性を述べた。 背景には、久比岐が産する翡翠が価値の高い威信財だったこともあるだろうが、出雲を牽制する意図もあったのではないかと思う。 奴奈川姫と八千矛が生きた時代から四・五百年く…

倭迹迹日百襲姫は卑弥呼ではない

先代旧事本紀・天孫本紀は、宇摩志麻遅の子である彦湯支が出雲色多利姫を妾にして一男を儲けたと記す。そして子には出雲醜大臣がいる。 宇摩志麻遅が実在する個人かどうかは、判断しかねる。 天香山が久比岐・能登へ侵入した九州軍を表す象徴であるように、…

大彦と吉備津彦は九州人

日本書紀は、大彦を孝元[8]の第一子、吉備津彦を孝霊[7]の庶子と記す。 また崇神紀[10]には四道将軍として、大彦を北陸道へ、吉備津彦を山陽道へ派遣したと記す。 大彦の北陸道派遣は、国譲り神話の建御雷こと天香山に相当するだろう。 吉備津彦の山陽平定は…

建御雷∩天香山、経津主∩宇摩志麻遅

日本書紀の国譲り神話に登場する高皇産霊の行動は大和の動向を指す。経津主は大和の軍の動向を指し、建御雷は九州勢の軍の動向を指す。 石見国一宮 物部神社 御由緒 その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山…

8月15日の記事を削除して書き直した

暑さで頭が茹っていたのか。 一昨日の朝に更新したブログを夕方読み返したら筋が通ってなくて、自分でも驚いた。このとき削除した記事を書き直したのでアップする。

欠史八代は五代孝昭以降うっすら実在感がある

神武から数世代を、宮を多く橿原周辺に造営したので橿原勢と呼び、のちに物部氏になる勢力を、祖先神をとって饒速日勢と呼ぶことにする。 この二つが融合した勢力を大和と呼ぶ。 記紀神話は神武[1]一代で東征と近畿平定を成したとするが、戦後処理に掛かる手…

古代、久比岐は出雲を嫌った

反論として、高志に大国主を祀る古い神社があること、妙高市に小出雲の地名が残ることを挙げられると思う。しかしこれらは後の時代の痕跡だろう。延喜式が編纂された平安時代中期は、箸墓古墳の築造から600年も経過している。 古代、弥生時代末期から古墳時…

八岐大蛇は出雲が蹂躙した高志の怨霊

八岐大蛇は川の氾濫を指し、奇稲田姫は水害に脅かされる稲田を指す。 問題は、出雲国を流れる川の化身である八岐大蛇が高志から来たとしている点だ。高志を源流とする川など出雲には流れてないのに何故、高志に関連づけるのか。 八岐大蛇のくだりは神逐の次…