天香山命と久比岐のあれやこれや

素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

あれやこれや

建御名方の正体

懿徳[4](天稚彦)は唐古鍵と纏向の統合を試みたが、事故か暗殺か、返し矢により絶命したために頓挫する。矢を返したのは高皇産霊(信越勢)である。 信越勢の働きで、統合の流れは一時停滞した。だが、信越勢にも統合を推進する一派がいたのだろう。それが…

天稚彦の試みと政教分離と和風諡号の日本

夢のお告げにより大物主の祭祀を大田田根子に、倭大国魂の祭祀を市磯長尾市に任せたと、崇神紀は記す。 日本書紀 崇神七年 秋八月 秋八月癸卯朔己酉 倭迹速神淺茅原目妙姫 穂積臣遠祖大水口宿禰 伊勢麻績君 三人共同夢而奏言 昨夜夢之 有一貴人 誨曰 以大田…

唐古鍵vs.纏向(4世紀)

唐古鍵遺跡は弥生前期~古墳前期。古墳時代は3世紀後~6世紀。おおまかに前期は4世紀、中期は5世紀、後期は6世紀。 国指定文化財等データベース(文化庁) 奈良県唐古・鍵遺跡出土品 謹製『初期天皇の活動年代表』によれば、4世紀後期は孝元[8]と仲哀/…

五男神を変更

今までずーっと見落としてたけど、天津彦根の子孫が書いてあった。天津彦根は大阪平野でした。とすると、東海は活津彦根なのでしょう。 日本書紀 神代上第六段(誓約)本伝 而 吹棄気噴之狭霧 所生神 號曰正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 次天穂日命 是出雲臣土師…

沖津宮―日御碕 30度ライン

沖津島と日御碕神社は、ぴったり30度のライン。言い換えると、日御碕神社から見る冬至の太陽は沖津島に沈む。 宗像大社沖津宮祭神の田心姫は、天照の御業で素戔嗚の所有物から生まれた三女神の一柱。 日御碕神社神の宮(上の宮)の主祭神は素戔嗚、ほかに三…

山陰勢の瓊瓊杵

日本書紀神代下第九段(国譲りと天孫降臨)の本伝が記す瓊瓊杵は、日向国に降った丹波勢である。日本各地に侵攻していった丹波勢をひとつにまとめて、景行[12]の事績にしている。 景行[12]は丹波の日葉酢媛から誕生したと記されているが、これを暗に否定する…

小倉百人一首 7番 阿倍仲麻呂が詠んだ月

小倉百人一首は歴史の教科書だ。と、聞いたことがある。何年か前にはネットでも記事を読んだ。と、思う。たぶん。 それで以前、阿倍仲麻呂の歌を考察した。だが今になって、結論が間違っていたと考えている。 小倉百人一首 7番 阿倍仲麻呂 天の原 ふりさけ見…

三勢力それぞれの八岐大蛇退治

丹波勢(孝霊[7]=大国主)の国譲りが本伝、山陰勢(孝元[8]=大国主)の国譲りが一書第二であるように、八岐大蛇退治の本伝と一書第一と一書第二も、三つの勢力の事績だろう。 八岐大蛇退治の本伝は山陰勢 素戔嗚=孝元[8]の父=武内宿祢大己貴(素戔嗚の子…

天穂日および五男神について自説変更

非常にあやふやな記憶で、「古代の航路を表す五男神のうち天津彦根と活津彦根の交わる場所が彦根説」を教えてくれた彦根市のタクシー運転手に、北陸出身であると話したら、天穂日だと言われたような言われなかったような気がしていた。それで、この不正確な…

初期天皇年代表を微調整

複数勢力の寄せ集めである神武[1]を除外。備考欄に中臣烏賊津を追加。 初期天皇の年代表 中臣烏賊津は仲哀[14]紀、神功紀、允恭[19]紀に登場する。武内宿祢同様に、この年代表ならば活動年代を約70年間に絞り込める。

八岐大蛇について自説変更

先だって一応の完成をみた初期天皇の活動年代表をもとに、自説を変更する。今後はこの年代表が新たな自説の核になる、と思う。 新たな自説の核 八岐大蛇伝承のもとになった出来事は、孝元[8]の近畿進出。孝元[8]=武内宿祢=杵築大己貴。山陰勢。四世紀中期…

初期天皇の時代考証(改訂版)

初期天皇の時代考証を、垂仁紀の逸話「狭穂彦討伐」を手掛かりに修正。 この表の利点は、和珥武振熊の活動年代を4世紀後期に絞れること。武内宿禰も4世紀中期と後期の約70年間に絞れること。 初期天皇の時代考証 改訂版 応神(誉田)の幼少期=誉津別=孝…

欠史八代こそがヤマト王権の大王

物部大前が長髄彦義兄の饒速日であり、開化[9]と仮定して、100年3世代で年代表に継体[26]以前の天皇を当てはめる。ただし、実在しない崇神[10]と、判断材料に乏しい成務[13]を除く。 初期天皇の時代考証 天岩戸日食がある2世紀中期にちょうど神武[1]が重な…

物部大前が長髄彦義兄の饒速日

神武四兄弟=允恭四兄弟。神武東征は、逸話ごとに登場人物の「中の人」が変わる。 一連の事件における物部氏の動向を推測。(1) 物部大前は履中[19]に味方して、海神族の筑紫勢と対立する。(2) 住吉仲皇子を排除したのち日向勢に攻め込まれ、伊勢を奪われる。…

四兄弟のカラクリ

瓊瓊杵=景行[12]彦火火出見(山幸)=豊国別吉野行幸までの神武四兄弟=允恭四兄弟 日本書紀と古事記の狙いは、日向灘と豊後水道をルーツとする勢力がヤマト建国に深く関わったように偽ること。 記紀神話は四兄弟を同母兄弟としているが、これは虚偽。父親…

初期天皇の活動年代予測および四国西部

垂仁[11]~継体[26]が活動した時代の予測を修正。ただし景行[12]と成務[13]を除く。 (158 天岩戸日食)(238 難升米訪魏)4前: 11.垂仁4中: 15.応神4後: 16.仁徳 14.仲哀/神功 ←中部日本海側が潰される【和珥武振熊】(382 百済記に沙至比跪)5前: 17.…

雄略紀に狭穂彦の玄孫

雄略は第21代天皇。雄略13年春3月に「狭穂彦の玄孫・歯田根」が登場。 日本書紀 雄略紀 十三年春三月 狭穂彦玄孫歯田根命 窃姧采女山辺小嶋子 天皇聞 以歯田根命 収付於物部目大連 而 使責譲 歯田根命 以馬八匹 大刀八口 狭穂彦は垂仁[11]1人目の皇后・狭穂…

安倍仲麿の歌について仮説

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 753年に安倍仲麿が詠んだ歌。仲麿(仲麻呂)は阿倍比羅夫の孫。比羅夫は越国守や大宰帥を務めた。安倍氏は大彦の子孫と伝わる(異説あり)。 あまのはら →高天原(海人の原) →神々の時代(寿命が長…

天日別と天兒屋について仮説

藤原不比等が春日大社を創祀。春日大社の祭神は武甕槌・経津主・天兒屋・比売神。比売は天兒屋の妃神と伝わる。 春日和珥氏と皇統の関わり 中臣佐久が改名して米餅搗大使主になったと、阿波国続風土記に記されている。 wikipedia 米餅搗大使主 脚注 出典の3 …

第六代孝安天皇について改訂

欠史八代はヤマト建国において重要な役割を担った氏族であり、その氏族を表すキーワードが和風諡号に盛り込まれていると推測した。 孝安[6]の和風諡号は「日本足彦国押人天皇」である。孝元[8]の和風諡号が「大日本根子彦国牽天皇」であり、「国牽」は「国押…

倭国大乱について仮説

応神[15]=誉津別ならば、父である垂仁[11]の生きた時代は記紀の記述より降る。記紀編纂時に辿れた皇統の父系の最古が垂仁だったか?知り得る最古の祖先だから実際より古い時代に偽ったか? 垂仁[11]から仁徳[16]までの即位順と親子関係は、史実と異なるかも…

誉田天皇(応神)と垂仁皇子・誉津別

釈日本紀の上宮記逸文は、継体[26]の祖を「凡牟都和希王」と記したうえで、横に「譽田天皇也」と添える。ホムタは応神[15]のことだが、ホムツワケ(誉津別)は垂仁[11]と狭穂姫のあいだに生まれた皇子のことだ。 国立国会図書館デジタルコレクション 国史大…

神武東征(日向出立~八咫烏)について仮説

【Attention!】頭を柔らかくして考察してください。 素戔嗚には出雲国熊野大社(櫛御気野)と越前国劔神社(八千戈)の二柱がいる。大己貴には出雲国杵築大社(現・出雲大社)と丹波国出雲大神宮の二柱がいる。襲津彦(ソツヒコ)は幸彦(サチヒコ)であり、…

景行と成務と仲哀について仮説

景行[12]と仲哀[14]は九州へ赴き、熊襲を討伐している。うろ覚えなのだが、この頃の力関係は筑紫(北九州勢)のほうが上だった説を、何時だったか誰かに解説してもらった気がする。 景行は自身が筑紫入りするまえに使者を送って様子をみる。神夏磯媛は賢木に…

伊勢内宮についての仮説

当ブログでは『仮説』という語句を「妄想のなかで貫かれる理屈」と定義して、今後は、鵜呑みにしてはならない記事への注意喚起として表題に使用する。たとえば、この記事のような類いである。 何年前か覚えてないが、ネットのどこかで「伊勢神宮の内宮に死体…

四道将軍武渟川別の痕跡

千葉県市原市にある神門5・4・3号墳は、3世紀半ば築造の前方後円墳と目されている。市原市の辺りは上海上国造か菊麻国造と思われ、どちらも成務[13]朝の任命で天穂日後裔だ。 千葉県 神門5号墳 神門5号墳 概要 2021年9月転写 これら3基の古墳から出土した土…

伊勢神宮の外宮と内宮

むかし、伊勢の内宮と外宮は争っていた。 内宮は中臣氏。 外宮は度会氏。 日本書紀の建国神話を読み解いた結果、中臣氏に関わる「天兒屋」「武甕槌」「豊城入彦・八綱田」の貢献は、どうも嘘くさい。多大な実績があるなら中臣氏も大連か大臣に就いてもよさそ…

大倭神社註進状:大地官と地主神を同一視する暴論

大倭神社註進状には偽書疑惑がある。 大倭神社註進状を読み解くにあたり閲覧した『古語拾遺』に、疑惑を深めるであろう書き込みを発見した。 国立国会図書館デジタルコレクション 古語拾遺 :コマ番号42/52 向かって右のページ4行目「地主神営田之日」の左…

『大倭神社註進状並率川神社記』写し

前回の記事にて、倭大國魂は久比岐・能登の神であるとする客観的根拠を示した。公平を期して、倭大國魂を大国主と同一とする説の根拠になっている『大倭神社註進状並率川神社記』を写したので挙げておく。 参考資料は以下の三冊。国文学研究資料館の資料をベ…

倭大國魂は翡翠を象徴する久比岐の神

とても残念なことに倭大國魂を祀る大和神社(奈良県)は、『大倭神社註進状』なる一書を拠り所として、倭大國魂は大国主であると主張している。しかし倭大國魂の創祀に関わる重要人物は久比岐・能登に関わっている。 大和神社 大和神社由緒 倭大國魂は崇神[1…