天香山命と久比岐のあれやこれや

素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

第六代孝安天皇について改訂

欠史八代はヤマト建国において重要な役割を担った氏族であり、その氏族を表すキーワードが和風諡号に盛り込まれていると推測した。

孝安[6]の和風諡号は「日本足彦国押人天皇」である。
孝元[8]の和風諡号が「大日本根子彦国牽天皇」であり、「国牽」は「国押」と対になる。

「国牽」が国引き神話を連想させることから、孝元[8]は杵築大己貴を推定した。
そこでもう一人の大己貴、丹波大己貴が孝安[6]に該当するのではと当初は予測した。

だがしかし、丹波大己貴は孝霊[7]のほうがふさわしい。
孝霊[7]の和風諡号は「大日本根子彦太瓊天皇」であり、「太瓊」が垂仁[11]紀の逸話にある「丹波のムジナの腹から出た八尺瓊勾玉」を連想させる。

そこで孝安[6]には、丹波大己貴の祖にあたる越前素戔嗚を当てはめた。
……というのが、これまでの自説である。

これを改め、孝安[6]には天穂日(もしくは火明)が該当するものとする。

和風諡号に「国押」を含む天皇は孝安[6]のほかに、安閑[27]と宣化[28]がいる。
安閑「広国押武金日天皇」と宣化「武小広国押盾天皇」は同腹の兄弟で、父は継体[26]、母は尾張目子媛であり、孝安[6]の母は尾張世襲足媛だ。

先代旧事本紀巻第五の天孫本紀は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日の兒である天香語山の子孫の建田背(六世孫)が、神服連・海部直・丹波国造・但馬国造等の祖と記す。 尾張国造は建田背の弟である建宇那比の子孫にあたる。

先代旧事本紀巻第十の国造本紀は尾張国造の同祖に、斐陀国造と丹波国造を記す。
そして丹後一宮籠神社社家、海部氏系図の始祖は彦火明である。

また出雲国造に記す天穂日の十一世孫宇迦都久怒は、崇神[10]紀の逸話にみえる出雲振根の甥である鸕濡渟の表記揺れと考えられている。
日本書紀神代下の第九段(国譲り)の一書第二では高皇産霊が、天穂日に大己貴を祀らせることを約束している。

以上のことから、天穂日と火明は近似の意味を持つ存在と考えられる。
もしかすると《同一》と云えるかもしれない。

そして、第六代孝安天皇「日本足彦国押人」は天穂日もしくは火明と推定する。

尾張国造
 志賀高穴穂朝(成務) 以天別天火明命 十世孫小止与尊 定賜国造
斐陀国造
 志賀高穴穂朝御世。尾張連祖瀛津世襲命 _大八椅命 定賜国造
丹波国
 志賀高穴穂朝(成務)御世 尾張同祖建稲種命 四世孫大倉岐命 定賜国造
丹後国
 諾良朝(元明)御世 和銅六年 割丹波國置丹後國
但遅麻国造
 志賀高穴穂朝御世 竹野君同祖彦坐王 五世孫船穂足尼 定賜国造
出雲国造
 瑞籬朝(崇神) 以天穂日命 十一世孫宇迦都久怒 定賜国造