天香山命と久比岐のあれやこれや

素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

三勢力それぞれの八岐大蛇退治

丹波勢(孝霊[7]=大国主)の国譲りが本伝、山陰勢(孝元[8]=大国主)の国譲りが一書第二であるように、八岐大蛇退治の本伝と一書第一と一書第二も、三つの勢力の事績だろう。

八岐大蛇退治の本伝は山陰勢

素戔嗚=孝元[8]の父=武内宿祢
大己貴(素戔嗚の子)=孝元[8]
八岐大蛇=丹波勢(孝霊[7]の一族)

脚摩乳が奇稲田姫を「少童」と呼んでいる。
日本書紀は神代上の第五段(神生み)の一書第六(黄泉戸喫)にて、ワタツミを「少童」と記す。奇稲田姫が海神族である証左だろう。

神代上 第五段(神生み) 一書第六(黄泉戸喫)
有朝霧 而 薫満之哉 乃吹撥之気 化為神 號曰級長戸辺命 亦曰級長津彦命 是風神也 又 飢時生兒 號倉稲魂命 又 生海神等 號少童命 ――以下略

八岐大蛇退治(?)の一書第一は物部氏

素戔嗚=安寧[3]の父=味耜高彦根
大国主(素戔嗚の子の五世孫)=開化[9]=物部大前=饒速日
八岐大蛇は登場しない

一書第一の素戔嗚は、天から下ってきて稲田媛を娶っただけ。
八岐大蛇を退治しない。

後世の読者である我々は、この段落は必ず八岐大蛇退治を主題にしているはずと決めつけていた。ひどい誤解である。

開化[9](稚日本根子彦大日々)は饒速日であり、物部氏
安寧[3](磯城津彦玉手看)は磯城氏。
確定ではないが、磯城氏が味耜高彦根を祀っていた説がある。
そして、先代旧事本紀巻第五の天孫本紀にある物部氏系図には、名前の意味が同じ味饒田(宇摩志麻治の子)がいる。

安寧[3]は、国譲り神話の本伝において、高皇産霊が最初に葦原中国へ遣わした天穂日と推定した。天穂日は誓約で誕生した五男神の一人であり、五男神は航路に相当するとの推測のもとで山陰の日本海をあてた。山陰の石見国には物部神社がある。

八岐大蛇退治の一書第二は丹波

素戔嗚=八千戈
大己貴(素戔嗚の子の六世孫)=孝霊[7]
八岐大蛇=科野の九頭竜大神

一書第二は、草薙剣を天へ献上しない。

草薙剣は、はじめ科野の剱だった。
2世紀、丹波勢が科野の有力者を襲撃して、草薙剣を奪う。
4世紀前期頃、草薙剣を所有する丹波勢が越中(狭穂彦=天津甕星=阿彦)と戦い、勝利する。
4世紀中期頃、草薙剣を所有する丹波勢から大王(孝霊[7])が立つ。
4世紀後期頃、山陰勢(武内宿祢)と北九州勢(神功)と信越勢(和珥氏)が丹波勢を討伐して、草薙剣は海神族の手中に戻る。

余談

本伝の奇稲田姫が「少童」と呼ばれているのは「海神族」という意味であり、べつに子供というわけではなく、妙齢のお嬢さんだったと思われる。

連れて去った幼女を育てて子を生ませるという、現代の倫理観では完全アウトなことをやらかしたのは一書第二、丹波の素戔嗚だけである。
ちなみに一書第二には、両親(脚摩乳と八箇耳)から婚姻の許しを得る場面がない。

山陰の素戔嗚に濡れ衣を着せないように注意しよう!

――― 2022/11/3 追記 ―――

安寧[3]の父に味耜高彦根を推定。

――― 2022/11/26 追記 ―――

世代が合わないため、安寧[3]の父は味耜高彦根ではないと認識。

天穂日および五男神について自説変更

非常にあやふやな記憶で、
「古代の航路を表す五男神のうち天津彦根と活津彦根の交わる場所が彦根説」を教えてくれた彦根市のタクシー運転手に、北陸出身であると話したら、天穂日だと言われたような言われなかったような気がしていた。それで、この不正確な記憶を頼りに、五男神があらわす航路を推定したけれど、間違ってた。

孝元[8]は山陰勢。
武力行使により丹波勢(孝霊[7])を追い落として、ヤマトの大王になる。
この出来事が、八岐大蛇退治の神話になる。
八岐大蛇退治の素戔嗚=武内宿祢。

開化[9]は物部氏
山陰勢との話し合いにより物部大前(開化[9])がヤマトの大王になる。
この出来事が、国譲り神話の一書第二になる。

一書第二で国を譲った大己貴は山陰勢。
孝元[8]自身か、弟や子などの近親者。
譲った国はヤマトであり、物語の舞台は近畿地方

山陰勢のヤマトの大王を、山陰で祀っているのが出雲大社(杵築大社)。
高皇産霊が「当主汝祭祀者 天穂日命」と言っている。
ならば、山陰が天穂日と考えるのが妥当。

これまでは「山陰の土地を譲り、新たな統治者として天穂日を受け入れた」と考えてきたが、間違いだ。
正しくは「ヤマト国の大王位を譲り、ルーツである天穂日の山陰へ帰った」のだ。

また、国譲りの本伝にも天穂日は登場する。
高皇産霊が最初に葦原中国へ派遣した。次に派遣したのが天稚彦

天稚彦は味耜高彦根の友であり、和風諡号に「耜友」をもつ懿徳[4]のこと。
なので、国譲り本伝の天穂日は安寧[3]。
安寧[3]は和風諡号磯城津彦玉手看」から、磯城氏と推測。
磯城氏のルーツは山陰と思われる。

箸墓古墳の被葬者とされる倭迹々日百襲姫の逸話のうち、大物主と婚姻して亡くなった話のモデルは奴奈川姫である。よって箸墓古墳の被葬者は、綏靖[2]周辺の人物と推測される。
だが、箸墓古墳を造成したのは安寧[3]ら山陰勢ではないか?

山陰は西谷墳墓群など、四隅突出墳丘墓を大型化させている。
3世紀末~4世紀初築造と目される前方後円墳「浅井11号墳」も、2015年に発見された。

それから、

天穂日が山陰勢ならば、誓約の五男神も考え直さねばならない。
三女神が北九州対馬間の航路なので、五男神も航路を想定する。
天穂日は山陰の日本海

同じく五男神の一柱、天忍穂耳の子(孫)の火明は尾張連が嫡流
尾張連は瀛津世襲であり、ルーツは越中
さらに、瓊瓊杵(景行[12])は丹波勢。丹波の海部氏は火明の子孫を名乗る。
よって天忍穂耳は丹波・越前・加賀・越中日本海

天津彦根、熊野櫲樟日、熯速日は変更なし。
悩むところは、活津彦根が瀬戸内をカバーするか? はたまた瀬戸内は月読の領分か?

誓約の五男神 ver.02

ヤマトの大王位を譲る国譲りは二回。
一回目、本伝は丹波勢(孝霊[7])から山陰勢(孝元[8])へ。
二回目、一書第二は山陰勢(孝元[8])から物部大前(開化[9])へ。

関東の国造の祖は、天穂日と天津彦根が多い。
天津彦根は東海の太平洋。東海の国造は物部氏が多い。
物部氏石上神宮で韴霊剱を祀る。

経津主が開化[9]の物部氏ならば、武甕槌は孝元[8]の山陰勢か?