天香山命と久比岐のあれやこれや

素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

天火明は瀬戸内航路の開通まもなく入植した九州人を指す

天火明は、誓約で誕生した五男神の長男である天忍穂耳の孫、または子だ。弥彦神社祭神である天香山の父で、日本書紀尾張氏の遠祖と記す。
しかし尾張氏が伝える海神豊玉彦を始祖とする系図に天火明、天香山の名は無い。

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Wikipedia尾張氏」より転写

系図に見える海神豊玉彦の孫の天前玉を天火明と同一とみなし、その子の高倉下を天香山と同一とする説もある。
先代旧事本紀饒速日と天火明を同一、天香山と高倉下を同一とする。

国立国会図書館デジタルコレクション 国史大系. 第7巻 先代旧事本紀 天孫本紀 :コマ番号139-140/484

照國照彥天火明櫛玉饒速日尊。亦名天火明命。亦名天照國照彥天火明尊。亦云饒速日命。亦名膽杵磯丹杵穂命。
天照孁貴太子正哉吾勝勝速日天押穗耳尊。高皇産靈尊女𣑥幡千千姬命爲妃。誕生天照國照彥天火明櫛玉饒速日尊矣。天照大神高皇産靈尊相共所生。故謂天孫亦稱皇孫矣。 ――略―― 饒速日尊便娶長髄彥妹御炊屋姬爲妃。誕生宇摩志麻治命矣。 ――略―― 天照國照彥天火明櫛玉饒速日尊。天道日女命爲妃。天上誕生天香語山命。御炊屋姬爲妃。天降誕生宇摩志麻治命

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。亦の名は天火明命。亦の名は天照国照彦天火明尊。亦云う饒速日命。亦の名は胆杵磯丹杵穂命。
天照孁貴の太子 正哉吾勝勝速日天押穂耳尊。高皇産霊尊の女 𣑥幡千千姫命を妃と為す。誕生 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。天照大神 高皇産霊尊 相い共に生す所。故に謂う 天孫 亦 称えて皇孫。 ――略―― 饒速日尊 便ち長髄彦の妹 御炊屋姫を娶り妃と為す。誕生 宇摩志麻治命。 ――略―― 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。天道日女命を妃と為す。天上にて誕生 天香語山命。御炊屋姫を妃と為す。天降りて誕生 宇摩志麻治命

天香語山命天降。名手栗彥命。亦名高倉下命。
――略―― 天香語山命。異妹穗屋姬命爲妻。生一男。
孫天村雲命。亦名天五多底。

先代旧事本紀は天香山の事跡(※)として、略した箇所に日本書紀の神武東征に登場する高倉下(※)と同じエピソードを記す。

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先代旧事本紀天孫本紀 饒速日から八世孫倭得玉彦まで系図おこし

物部神社のWebページは御由緒にて、弥彦神社祭神の天香山に言及している。
物部神社は出雲の西隣り石見にあり、弥彦神社は久比岐の東隣り高志深江にある。倭国大乱において出雲が侵攻した日本海沿岸地域、つまりは戦場になった地域を東西に挟むこの2社は、勝利した天照の子孫である天皇の活力を高めるという鎮魂祭を行っている。

物部神社 物部神社とは 御由緒

その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は新潟県弥彦神社に鎮座されました。御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫・忍原・於爾・曽保里の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源) とされました。

物部神社の御由緒を根拠に当ブログでは「宇摩志麻遅=国譲りの経津主」「天香山=国譲りの建御雷」説を提唱している。
宇摩志麻遅(経津主)と天香山(建御雷)はそれぞれ出雲と久比岐へ侵攻した九州と近畿の合成軍であると考え、四道将軍の大彦が、天香山であるところの軍勢を率いて高志へ侵攻したと推測する。

弥彦神社祭神の天香山は、久比岐を脅かす出雲軍を討ち払った九州大和連合の軍勢だが、特定の個人に当て嵌めるならば、大彦ということになるだろう。

古事記崇神[10]記によれば武渟川別は大彦の子であり、日本書紀の垂仁[11]紀によれば崇神[10]の皇后の御間城姫も大彦の娘だ。

国立国会図書館デジタルコレクション 古事記. 巻中 :コマ番号21/57

故 大毘古命者 隨先命 而 罷行高志國 尒 自東方所遣建沼河別与其父大毘古 共往遇于相津 故 其地謂相津也

故 大毘古命は 先の命の隨に 而 高志国へ罷り行く 尒 東方より所遣わす建沼河別と其の父の大毘古 共に相津に往き遇う 故 其の地を謂う相津

国立国会図書館デジタルコレクション 日本書紀 : 国宝北野本. 巻第6 :コマ番号3/27

活目入彥五十狹茅天皇 御間城入彥五十瓊殖天皇第三子也 母皇后曰御間城姬 大彥命之女也

活目入彦五十狭茅天皇 御間城入彦五十瓊殖天皇の第三子 母は皇后で曰く御間城姫 大彦命の女

御間城姫と武渟川別の母に関する明確な記述は無い。
しかし、先代旧事本紀天孫本紀によれば、宇摩志麻遅の子の彦湯支には出雲色多利姫という妻と、出雲醜大臣という子がいる。武渟川別は名前に「ヌナカワ」を含むことから、母は久比岐の女性であると推測する。

日本書紀崇神[10]紀は、倭迹迹日百襲姫が崇神の姑であると記す。また、倭迹迹日百襲姫が大物主を夫にしたエピソードでは、倭迹迹日百襲姫と倭迹々姫を混同する。

大物主が大国主と同一視されることから、倭迹迹日百襲姫は奴奈川姫であり、倭迹々姫は大彦の妻で御間城姫と武渟川別の母になった久比岐の女性であると考え、崇神紀は倭迹々姫に奴奈川姫の威光を重ねて書いたものと推測した。(過去記事:倭迹迹日百襲姫は卑弥呼ではない

日本書紀欠史八代[2-9]紀(※)は、大彦を孝元[8]の皇子としているが、後裔に筑紫国造と越国造を含む7氏族を挙げる。
越国造は妻になった久比岐の女性の縁によるものだろう。そして筑紫国造の祖であることから、大彦は筑紫に縁があるとして九州出身氏族とみる説がある。

日本書紀天孫降臨のくだり(※)によると、
天香山の父は天火明であり(一書第六)、火明は天忍穂耳の孫(本伝及び一書第二三五七)または子(一書第六八)である。そして尾張氏の遠祖を火明(本伝と一書第八)、または天香山(一書第六)と記す。

天忍穂耳は誓約(※)で誕生した五男神の長男だ。
宗像三女神が宗像と朝鮮半島を結ぶ航路の寄港地であることに対応して、五男神は瀬戸内航路の寄港地であると推測した。
これに基づけば、天火明と天香山父子のルーツは瀬戸内航路にあることになる。

日本書紀の天火明は、瀬戸内航路が開かれて間もない頃に近畿に入植した九州の氏族を指すのではないか? おそらく大彦の氏族と尾張氏はこの条件に該当する。

尾張氏は海神豊玉彦を始祖とする系図を伝え、筑紫国の安曇氏と同族を謳う。
安曇氏は志賀海神社祭神の海神を奉祀する海人族だ。

孝昭[5]の皇后は尾張氏出身の世襲足媛である。
よって箸墓古墳が築造された三世紀後半に在位していた崇神[10]の5世代前には、瀬戸内航路は開かれていたと考えられる。そして淡路島の五斗長垣内遺跡は2世紀頃の鉄器製造遺跡と目されている。
ざっくり計算。
 (275-100)/5 = 35
治世1代当たり35年の解が得られる。まあまあ現実的な数値だと思う。

同時期に入植した大彦の氏族と尾張氏だが、まったく別の氏族なのだろう。
混同されないために、尾張氏は海神豊玉彦を始祖とする系図を伝えたのではないか?

にもかかわらず混同したのが、先代旧事本紀なのではなかろうか?