天香山命と久比岐のあれやこれや

素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

国譲りの段の一書第二は高志寄りの視点で書かれた

天照は九州、素戔嗚は出雲、高皇産霊は大和、建御雷は九州軍、経津主は大和軍の動向を指す。事代主は高志を指すのだが、この神だけは「動向」より「関係性」を指すと云うほうが適切かもしれない。

一般には大国主の子と思われている事代主だが、一書第二(※)では様子が違う。

一書第二の事代主は、大国主が「避け去った」あとに帰順して、大物主とともに八十萬神を率いて天に昇り、高皇産霊に誠款(誠と真心)を陳上する。大国主の子とは書かれてない。

つまり、大国主の子と定義される本伝の事代主が海に「避け去る」のに対し、大国主の子とは定義されない一書第二の事代主は国譲りのあとも存在する。
この差には、おそらく理由がある。

父子は、儒教において確とした上下関係だ。
本伝の事代主が「避け去る」のは、大国主と事代主を父子に設定したことで生じる上下関係を、過去のものとして葬ることが目的ではないだろうか。

おそらく高志の独立性に配慮したのだろう。
また、天皇のワントップを目指す大和朝廷としても、出雲の身勝手な序列づけは邪魔なはずだ。

一書第二では、高皇産霊は国を譲らせるにあたって交換条件の最後に「又當主汝祭祀者 天穗日命 是也」と提示する。大国主はこれに納得して隠れる。

首長が神事を取り仕切った時代なので、その後の出雲国天孫が支配するという意味になる。言い換えれば、大国主の出雲は国譲りをもって潰えたことになる。
これにより一書第二は、本伝より具体性をもって、本伝において出雲が主張する上下関係を過去に葬ったと言えるだろう。

もしかしたら、本伝に父子と記すことの交換条件が、大国主の系譜を捨てて天穂日の後裔を名乗ることだったのかもしれない。父子関係を称して高志を見下す出雲に、母子関係を称して大和の下につくことを承諾させた。目には目を、ということか。

加えて。
高皇産霊は自分の娘の三穂津姫を大物主に娶らせる。
現在、三穂津姫は出雲の美保関にある美保神社主祭神として大々的に祀られている。その末社の地主社に坐す神は、御穂須須美か事代主とされている。

美保関の三穂津姫は、出雲が御穂須須美に付与したプロパガンダ設定を潰すことを意図して、大和が祀らせたのではなかろうか。