天香山命と久比岐のあれやこれや

素人が高志の昔を探ってみる ~神代から古墳時代まで~

あれやこれや

倭国大乱について仮説

応神[15]=誉津別ならば、父である垂仁[11]の生きた時代は記紀の記述より降る。記紀編纂時に辿れた皇統の父系の最古が垂仁だったか?知り得る最古の祖先だから実際より古い時代に偽ったか? 垂仁[11]から仁徳[16]までの即位順と親子関係は、史実と異なるかも…

誉田天皇(応神)と垂仁皇子・誉津別

釈日本紀の上宮記逸文は、継体[26]の祖を「凡牟都和希王」と記したうえで、横に「譽田天皇也」と添える。ホムタは応神[15]のことだが、ホムツワケ(誉津別)は垂仁[11]と狭穂姫のあいだに生まれた皇子のことだ。 国立国会図書館デジタルコレクション 国史大…

神武東征(日向出立~八咫烏)について仮説

【Attention!】頭を柔らかくして考察してください。 素戔嗚には出雲国熊野大社(櫛御気野)と越前国劔神社(八千戈)の二柱がいる。大己貴には出雲国杵築大社(現・出雲大社)と丹波国出雲大神宮の二柱がいる。襲津彦(ソツヒコ)は幸彦(サチヒコ)であり、…

出雲大社(杵築大社)に思うこと

当ブログの『建国神話を読む』シリーズをしっかり読んでくださらない方々は意外に思われるだろうが、現在、ブログ筆者である比佐安田に出雲大社(杵築大社)を批判する意図は一切ない。 なぜなら出雲大社の有りようは高志や丹波の伝承と融和するからだ。筆者…

景行と成務と仲哀について仮説

景行[12]と仲哀[14]は九州へ赴き、熊襲を討伐している。うろ覚えなのだが、この頃の力関係は筑紫(北九州勢)のほうが上だった説を、何時だったか誰かに解説してもらった気がする。 景行は自身が筑紫入りするまえに使者を送って様子をみる。神夏磯媛は賢木に…

襲津彦についての仮説

襲津彦には葛城の他にも一人、景行[12]皇子の日向襲津彦がいる。母は日向髪長大田根。日向国の益安神社に祀られている。 宮巡 宮崎県神道青年会 益安神社(ますやすじんじゃ) 景行[12]紀 次妃日向髮長大田根 生日向襲津彥皇子 是阿牟君之始祖也 次妃の日向…

伊勢内宮についての仮説

当ブログでは『仮説』という語句を「妄想のなかで貫かれる理屈」と定義して、今後は、鵜呑みにしてはならない記事への注意喚起として表題に使用する。たとえば、この記事のような類いである。 何年前か覚えてないが、ネットのどこかで「伊勢神宮の内宮に死体…

四道将軍武渟川別の痕跡

千葉県市原市にある神門5・4・3号墳は、3世紀半ば築造の前方後円墳と目されている。市原市の辺りは上海上国造か菊麻国造と思われ、どちらも成務[13]朝の任命で天穂日後裔だ。 千葉県 神門5号墳 神門5号墳 概要 2021年9月転写 これら3基の古墳から出土した土…

伊勢神宮の外宮と内宮

むかし、伊勢の内宮と外宮は争っていた。 内宮は中臣氏。 外宮は度会氏。 日本書紀の建国神話を読み解いた結果、中臣氏に関わる「天兒屋」「武甕槌」「豊城入彦・八綱田」の貢献は、どうも嘘くさい。多大な実績があるなら中臣氏も大連か大臣に就いてもよさそ…

大倭神社註進状:大地官と地主神を同一視する暴論

大倭神社註進状には偽書疑惑がある。 大倭神社註進状を読み解くにあたり閲覧した『古語拾遺』に、疑惑を深めるであろう書き込みを発見した。 国立国会図書館デジタルコレクション 古語拾遺 :コマ番号42/52 向かって右のページ4行目「地主神営田之日」の左…

『大倭神社註進状並率川神社記』写し

前回の記事にて、倭大國魂は久比岐・能登の神であるとする客観的根拠を示した。公平を期して、倭大國魂を大国主と同一とする説の根拠になっている『大倭神社註進状並率川神社記』を写したので挙げておく。 参考資料は以下の三冊。国文学研究資料館の資料をベ…

倭大國魂は翡翠を象徴する久比岐の神

とても残念なことに倭大國魂を祀る大和神社(奈良県)は、『大倭神社註進状』なる一書を拠り所として、倭大國魂は大国主であると主張している。しかし倭大國魂の創祀に関わる重要人物は久比岐・能登に関わっている。 大和神社 大和神社由緒 倭大國魂は崇神[1…