釈日本紀の上宮記逸文は、継体[26]の祖を「凡牟都和希王」と記したうえで、横に「譽田天皇也」と添える。ホムタは応神[15]のことだが、ホムツワケ(誉津別)は垂仁[11]と狭穂姫のあいだに生まれた皇子のことだ。 国立国会図書館デジタルコレクション 国史大…
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